単行本, 第1巻
知り合ったばかりの女性と一夜を共にした俺は、翌朝目覚めて、すぐに思考が停止した。その女性が名乗ることもせずに立ち去っていただけでなく、あろうことか金を残していったからだ。これではまるで、俺が金で買われたみたいじゃないか。しかも、一夜の価値がたったの50ドルだと?
普通ならそのまま放っておくところだろう。だが、今回は全くもって〝普通〟じゃない。なぜなら出会った瞬間、いや、姿を見かけた瞬間に、俺の中で特別な感情が芽生えたからだ。
何としてもその女性の正体を突き止め、50ドルの意味を問いただしてやる。そう息巻いた俺だが、調べによると彼女は近々結婚するという。
俺とあんなに熱い夜を過ごした女性が? 結婚?
相手を本当に愛しているのか、誰かに強制されてのことなのか、そこが肝心だ。相思相愛なのだとして、中途半端な額の金を置いていった理由さえ納得できれば、俺自身も諦めがつくというものだ。
そうして一路、飛行機で結婚式会場に向かったわけだが、心境の変化とちょっとした勘違いで、事態は思わぬ方向へ動き出すのだった。
※この物語は一話完結です。
ウェディング・ドレスに身を包んだ美女が、肩の上で暴れている。暴れているだけでなく、金切り声も上げている。
ここはマウイ島のビーチ。そして俺は今、花嫁を担いで砂浜のバージン・ロードを駆け抜けている。
「待て!」と後ろから叫んだのは新郎だ。俺に突き飛ばされ、尻餅をついていたそいつ、花嫁が盗まれたことに気づいて、砂に足を取られながら必死に追いかけてくる。しかし、人ひとり担いでいる俺より動きが鈍いことだし、これなら簡単に振り切れるだろう。ジムで身体を鍛えておいてよかった。
悪いが花嫁はもらった。事実を知れば、おまえだって俺に感謝するようになるさ。なにしろ結婚が決まっているのに他の男とヤルくらいだから、おまえの手に負えるような相手なんかじゃない。そんな浮気性の女、おまえだって嫌だろう?
マセラティはすぐ近くに停めてある。ブルーのオープンカーで、急遽購入した。あれに彼女を乗せて車を発進させれば、花嫁略奪作戦は見事成功だ。
暴れる彼女と一緒に、苦戦しながらベールも押し込んだ。運転席に回って車に飛び乗り、エンジンをかけていざスタート。
よし、これで最大の難関は突破した。
ハワイの風が俺の髪をなびかせる中、気を良くしてさらにアクセルを踏み込もうとしたその瞬間、いきなり目の前に赤いものが飛び出してきた。よく見るとそれはドレスで、着飾った女性が通せんぼするように手を広げている。
俺は急ブレーキをかけた。
「危ないじゃないか! 気でも狂ったのか?」
血まみれになった女性を想像してゾッとする。「もう少しで轢いてしまうところだったんだぞ」
背が高くスリムなその女性は、ボンネットに両手を置くと、さっと挑戦的に顎を上げた。
え、どうなってんだ?
見覚えのあるアクアマリンの瞳がこっちを睨んでいる。しかし、花嫁は俺の隣でまだ叫んでいる。この二週間、ずっと彼女のことばかり考えていたから、幻覚でも見ているのだろうか。
「スキットルズ(ソフト・キャンディの一種)?」
「そうよ」
声にも聞き覚えがある。間違いない、彼女だ。じゃあ、俺の盗んだ花嫁は?
隣を見ると、当の花嫁はちょうどベールを脱いだところだった。顔が……、そっくりだった。