忘れえぬ面影シリーズ, 第3巻
アメリカで大人気のロマンス作家 Nadia Leeによる ”忘れえぬ面影シリーズ“ (原題:Seduced By The Billionaire)第三弾。
USA Todayの編集者、リー・フランクザック曰く
シリーズ一作目も二作目も構成がしっかりしている上、大変読み応えがあった。読者を飽きさせない工夫もなされている。次の『最高の贈り物』が待ち遠しい……。
2014年1月に、そんな内容の記事が掲載されました。
この『最高の贈り物』(原題:Pregnant with Her Billionaire Ex’s Baby, Book 3)は、前作『二度目のアバンチュール』にも登場したギャビンのお話です。彼がなぜあんな態度を取っていたのかが、次第に明らかになっていきます。
事件を通して深まる兄弟の絆、夫婦のあり方など、見どころは盛りだくさん。
前回の物語で発覚した会社絡みのスキャンダルを別の視点で綴っていく、筆者ならではの手腕が光る作品です。
名家の出身でありながら貧しい家庭で生まれ育ったアマンディーン・モンローは、三年前に若き大富豪の許へ嫁いだ。しかし、夫から愛の言葉を囁かれたことはない。愛されているのかどうか自信のないまま、一人思い悩む日々が続いていた。
ある日、彼女は自分の妊娠を知ることになるのだが、果たしてこんな状態でこの子は幸せになれるのだろうかと苦悶する。そんな矢先、夫のギャビンが昔の恋人に会いに行ったことを知り、誤解したアマンディーンは突発的に離婚を決意した。
妻の心変わりに納得のいかないギャビンは、元通りに修復しようとあの手この手を試みる。しかし、その方法は今一つピント外れだ。過去に散々痛い目に遭った彼は、相手への愛を語ればその相手が離れていってしまうと思い込んでいる。
ファミリービジネスに関するスキャンダルにも手を打たねばならない大事な時期に勃発した家庭のゴタゴタ。家庭とビジネスの両方の問題を解決すべく奮闘するギャビンだったが……。
シリアスでありながらコメディの要素も満載の本編、
ぜひ、お楽しみください。
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なにをこんなに手間取っているのだろう。
アマンディーン・モンロー・ロイドは、半ば不安を覚えながら診察室で待っていた。
このクリニックの医師であるシルバーマンは、ロサンゼルスでの開業以来、富裕層や著名人がこぞって押しかけるほど有能な女医である。患者に寄り添いながら、あらゆるニーズに応えてくれる婦人科医として知られていた。
待合室といい、今いる診察室といい、フロア全体がサロンか高級ホテルのスイートルームかと見紛うほど優雅な造りであった。
クリーム色と柔らかい緑色で統一された壁には、よくある婦人病啓発ポスターのように野暮なものは一切見当たらない。その代わりに掛けられているものといえば、観る者の気持ちを和ませてくれるモダンアートの絵画だけだった。夫の友人の中には、何百万ドル投じてでもあの絵を手に入れたいと思う人もいることだろう。もちろん、複製画でなければの話だが。
今日のアマンディーンの服装は、オスカー・デ・ラ・レンタのシフォンのワンピースと、それに合わせたマノロ・ブラニクのハイヒール。
高級服に身を包みさえすれば堂々としていられるかというと、そういうものでもない。夫、ギャビン・ロイドの財力のお陰で、今でこそ何不自由なく暮らし、シルバーマンのようなハイクラスの医師に診てもらうこともできるようになったが、彼女はもともと裕福な家庭の出ではない。そんなアマンディーンにとって、クリニック全体に漂う豪華な雰囲気は決して居心地の良いものではなかった。
このコーディネートにしても、あくまで夫が雇ったパーソナルショッパーが買い整えたもので、彼女自身は、そんな一度か二度しか着ないもののために無駄遣いするのはばかげていると言いたいくらいだった。
長年染みついた習慣や行動はそうそう変えられるものではない。どんなに贅沢な服を身につけていても、経済的に苦しい生活をずっと強いられてきたアマンディーンの腰が引けるのも、無理からぬ話だ。さっきから、自分が場違いな気がしてしかたがない。
気がつけば、窓辺に飾られたアロエのトゲを落ち着きなく数えていた。
さらに待つこと数分、ようやく医師が戻ってきて机についた。四十代前半と見られるシルバーマン医師は、身長百六十五センチのアマンディーンよりも小柄で、親しみの持てる顔立ちに温かい眼差しをしている。白衣の裾から覗くスカートは茶色、足元は歩きやすいパンプスだ。
では改めて、おめでとうございます、と言いながら、医師はアマンディーンにアイボリーの封筒を差し出した。封筒にはクリニックのロゴ以外、何も書かれていない。
「中に超音波写真が入っています。ご主人にも見せてあげてくださいね。きっと喜ばれますよ」
「ありがとうございます」
受け取った封筒をバッグにしまうとき、アマンディーンの手がかすかに震えた。
子供を持つということについて、これまでギャビンと話し合ったことはない。だが、考えてみれば、二人が結婚して丸三年になる。そう、ちょうど明日が三回目の結婚記念日だ。
そろそろいいとは思うけど……、
「あの」
口を開いたアマンディーンの顔を、シルバーマン医師は明るい表情で覗き込んだ。
「どうしました?」
「ずっと避妊してきたんですが、大丈夫でしょうか」
「というと?」
アマンディーンはお腹に手を置いた。
「何か、赤ちゃんに悪影響があるんじゃないかと」
「ああ、それなら大丈夫、心配いりません。妊婦さんの中には、避妊したにもかかわらず妊娠してしまう方も多いようです。そもそも百パーセント避妊可能なものは存在しないし、避妊薬を服用していたからといって、赤ちゃんへのリスクが高まるという報告もありませんから」
「よかった」
「今はとにかくリラックスすることが大切です。危険なスポーツは絶対に避けてください。逆に、週に何度かは軽い運動を心がけてくださいね。それと、注意事項が詳しく書いてあるパンフレットを受付でお受け取りください。栄養に関してはご本人用以外にスタッフの方の分もお渡ししましょう。書かれている内容に沿って、シェフが何か身体にいいものを作ってくれるといいですね。他にお聞きになりたいことや気になることがあれば、いつでもご連絡ください」
これで気持ちが少し楽になった。
「わかりました」
妻がこのクリニックをいつでも利用できるよう、ギャビンは多額の年会費を毎年支払っている。実際、他の医師と違い、いつ電話してもメールしても、シルバーマンは迅速に対応してくれる。
「二週間後にまた検査をしますので、受付で予約を取ってください」
「はい」
「本当におめでとうございます」
ありがとう、と礼を言いながら診察室から出ると、待合室で待っていたブルック・デ・ロレンゾが、白い革のソファーからさっと立ち上がった。親友でもありアマンディーンの個人秘書でもあるこの女性は、いつものように目を見張るほど派手な恰好をしている。今日は赤紫のノースリーブと青緑色のミニスカート、それに金のループベルトという装いだ。トップスにはそれでも多少のゆとりがあるが、スカートはお尻の形がくっきりするほどタイトなものを着こなしている。耳にはゴールドの大きなフープピアスがぶら下がり、流行のショートボブがそのチャーミングな顔立ちを際立たせている。
重そうなバッグを両肩にそれぞれ一つずつ提げて、ブルックは慌しく駆け寄ってきた。黒いプラットフォームブーツの足音を、ふかふかのカーペットが完全に吸収してくれている。
「どうだった?」
さっそく尋ねるブルックへ、アマンディーンが曖昧に応じる。
「うん……、大丈夫」
「よかった。当分通うの? 次の予約が必要?」
「二週間後に来なさいって」
ブルックはさっそくタブレットを取り出し、受付の女性と相談し始めた。
「じゃあ、十時でお願いします」
予約時間が書かれたカードを渡そうとした受付係に、「もう入力したから大丈夫」と手で制して、オレンジ色のタブレットをちらっと見せると、それをバッグの中にしまった。
エレベーターに向かう途中でアマンディーンが切り出す。
「ギャビンに電話しなくちゃ」
ビッグニュースをブルックにも早く教えたいが、やはり夫に伝えるのが先だろう。
「了解」
ロビーに着くと、ブルックは携帯にギャビンの電話番号を呼び出してから、それをアマンディーンに渡した。
「まあ、ここまでしてくれなくていいのに」
アマンディーンは最新の機器を耳にあて、駐車場のほうへ向かいながら言った。
「報酬に見合う仕事をしなくちゃね」
「もっと大事なことで忙しく働いてくれてるじゃない。次の慈善パーティーの企画だってあるし」
資金集めを目的とするパーティーというものが、正直あまり好きでない彼女だったが、ギャビンの妻としての務めと割り切って続けている。
五回目の呼び出し音で電話が繋がった。
『やあ、アマンディーン』
「ギャビン、あのね」
『ごめん、今ちょっと手が離せないんだ。急ぎの用かい? そうでないなら後でかけ直してもいいかな』
ギャビンが早口で尋ねた。
子供ができたというのは急ぎの用なのだろうか。いや、内容が内容だけに、もっと落ち着いて聞いてもらいたいような気がする。
「あとでも大丈夫よ。手が空いたら電話して」
『わかった。じゃあ後で』
アマンディーンはため息をつきながらブルックに電話を返した。
「忙しいみたい」
「そんなの今に始まったことじゃないわよ。話があるんなら無理にでも時間を作ってもらえばよかったのに」
ブルックはアマンディーンをじっと見つめた。「よっぽど大事な話なんでしょ」
「ううん、もういいの」
仕事中に電話しても無駄だということぐらいわかっていたはずなのに、私ったら……。
ブルックはパールピンクのメルセデス・クーペの運転席に座り、蝶の羽の形をした大きなサングラスをかけた。この特注車は、アマンディーンの誕生日にギャビンがプレゼントしてくれたものだ。
「家に着くまで、そこでゆっくりしてなさい」
「ありがと」
アマンディーンは助手席に落ち着くと、ブルックのものよりずっと地味なサングラスをかけた。
知り合いの中でブルックは誰よりも運転が上手い。そのお陰で、専属の運転手を雇わないようギャビンを説得することができた。
「で、何だったの? 癌とか何か悪い病気じゃないんでしょうね?」
アマンディーンは思わずむせて、咳が止まらなくなった。
「もちろん違うわよ。どうしてそんなふうに考えた——」
「ごまかさないで! 気づかないとでも思ってんの? 診察室から出てきたときのあんた、顔が真っ青だったじゃない」
短くカットしてはいるが、鮮やかな緑色のネイルを施した爪で、ハンドルをトントンと叩きながらブルックが続ける。「だいたい仕事中にギャビンに電話したことなんて、今まで一度もなかったし」
言おうか言うまいか迷ったが、アマンディーンは結局打ち明けることにした。ブルック相手に隠し通す自信もない。
「赤ちゃんができたの」
「ええっ! 本当? おめでとう! あんたたちが子供を作ろうと思ってたとはね」
「ギャビンは思ってない」
アマンディーンは温かい家庭を求めていた。二人で住むには広すぎる邸宅を埋める意味でも、子供が最低二人は欲しいとずっと夢見てきた。しかし、子供の話が話題に上ったことは、今までに一度もない。「というか、作るとか作らないとか話し合ったことがないの」
「ふうん」
「だから、ちょっと心配。喜んでくれるかどうかわからないから」
アマンディーンは渋滞している車の列を眺めながら、再びため息をついた。
「自分がどうしたいかも含めて決めないとね。それが夫婦ってもんじゃないの?」
ブルックは巧みにハンドルを切り、車のほとんど通らない細い道路に入ってスピードを上げた。「とにかく、二人でちゃんと話し合えば万事うまくいくって」
「そうかしら。ギャビンったら、今では私とさえ一緒に過ごす時間がほとんどないのよ。子供のために時間を作れるようになるとは思えないんだけど」
「そのへんはちゃんと考えてくれるんじゃない? 赤ん坊が生まれたら優先順位がガラッと変わってしまうもんよ」
ブルックは一瞬口を閉じて続けた。「サンディ姉さんとユージーンなんか……」
「お姉さんたちがどうかしたの? 去年女の子が生まれたんだったわよね」
パーソナルショッパーのジョセフィーヌに頼んで一緒に赤ちゃんグッズを選び、大きなバスケットに詰めて送ったのを、アマンディーンは思い出していた。
「うん、そう。この話、他の人には言わないで欲しいんだけど、実はね、姉さんたち、別れようとしてたんだ」
アマンディーンは目を丸くした。
「うそでしょ。とっても愛し合ってるように見えたのに」
「姉さんは自分の辛い状況とかをすんなり人に見せるタイプじゃないから。でも本当。いろいろあって、いつも喧嘩してた。そのうち、結婚生活を続けても意味がないって結論になったみたい。親が心配するとわかってはいたけど、それでもどうしようもない状況だったらしいわ」
「お父さんを悲しませてまでなんて、よほど深刻だったのね」
ブルックとサンディの父親は、妻が亡くなってから男手一つで二人の娘を育て上げた人だ。娘たちが肩身の狭い思いをすることのないようにと、身を粉にして働きながら必死に子育てをした。
十代のころ、しょっちゅうブルックの家にお邪魔していたアマンディーンは、父親のこともよく知っている。彼は本当にいい人だが、ある意味とても保守的な人でもある。家族がいつも仲良く幸せでいることを望んでいたので、娘が離婚などしようものなら、彼の受けるショックは計り知れない。ユージーンの両親とて同じ思いをするだろう。
「ところがね、妊娠がわかった途端、状況が百八十度変わっちゃって。子供が生まれることを思えば、それまで言い争っていたのがどうでもよくなったみたいよ。で、子供のためにお互いの関係を見直したってわけ。それがうまくいってね」
ブルックは皮肉るように鼻で笑った。「もっと大切なものができたから、話し合いにしろカウンセリングにしろ、それまでよりずっと真剣になれたのよ。ね、だからギャビンも変わるんじゃない? 父親としての責任を果たすために、きっともっと家にいてくれるようになるって」
「そうとも言い切れないんじゃないかしら。ベビーシッターを何人も雇うかもしれないもの」
「たぶん雇うでしょうね。でもそれは育児を押しつけるとかじゃないと思う。彼の家族って、みんな子供が大好きなんでしょ。ギャビンだけ例外とは考えにくくない? 家族みんなが集まったときなんか、甥っ子の可愛がりようったら尋常じゃないって言ってたじゃない」
「確かにそう」
ギャビンは甥を溺愛している。機会があろうものなら、甘やかし過ぎて駄目な子にしてしまいそうなほどだ。
「ことによると、子供可愛さのあまり、母親としてのあんたの意見を無視しちゃうかもよ。あんた、しまいには彼を殺したくなるかも」
二人は声を立てて笑った。
ブルックは、邸宅の敷地入口にある鉄の門の前でいったんクーペを停めた。暗証コードを入力し指紋認証スキャナーに親指をあてると、セキュリティシステムがアクセス情報を認識する。しばらくして自動的に門が開き、車は玄関へと続く長い私道を進んでいった。
そうよ、彼女の言うとおり、自分の子供ならなおさら大切にしてくれるはず。そう考えれば、なんだかわくわくする!
アマンディーンの心は、ようやく浮き立ってきた。
ギャビンには子供に無関心であるよりも、むしろ溺愛するぐらいの父親でいて欲しい。そうすれば、生まれてきた子は無条件に愛されていると感じるだろう。その分、自分が嫌われ者になってでも、厳しい母親として躾に徹すればよいのだから。
「でーんと構えて、身体にいいもの食べて、楽しいことだけを考えようよ」
ブルックが玄関の前で車を止めた。
目の前には大理石でできたクリーム色の階段が伸びており、ギリシャ神殿のような円柱がその両脇にそびえ立っている。
「ルナにメールを送っといたから、何か栄養のあるものを作って待ってるはずよ。じゃあ、ガレージに車を置いてくるね。あとでダイニングルームに集合。忘れないでよ、今日は二時半からアートフォーキッズ基金の役員会があるんだから」
* * *
夜中に黒いベントレーが邸宅の前に止まり、ギャビンが後部座席から降り立った。
「ありがとう、トーマス」
「いいえ、どういたしまして。おやすみなさいませ」
ギャビンは、車がカーブを曲がって裏のガレージへ消えていくのを見送った。
殺人的なスケジュールの中、トーマスはいつもよく働いてくれる。どんなに忙しかろうと、労働時間について不平をこぼしたことは、この八年間、一度もない。
運転手としては破格の給料と福利厚生のお陰で専業主婦でいられるのです、と彼の妻は感謝すらしてくれている。確か子供が三人おり、末っ子は自閉症だと聞いたことがあった。
クリスマスには十分なボーナスを出すつもりでいたし、来期には賃上げも予定している。トーマスの働きはそれに十分見合うものだ。家族も喜んでくれるだろう。
ドアのそばの常夜灯が一つだけ、ぽつんとついている。以前は煌々と灯っていたのだが、アマンディーンが勿体ないと言うのでやめてしまった。
——アマンディーン、電気代なんかいくらかかったって、たいしたことないんだよ。
妻にそう言っても、彼女は聞く耳を持たなかった。
——でも、電気の無駄使いは良くないと思う。だから、そういうのやめにしない?
ギャビンとしては別にどちらでもよかったので、アマンディーンの好きにさせることにした。
鍵を開けて中に入ったが、当然のことながら家政婦のルナは出迎えに来ない。ギャビンかアマンディーンが特に頼まない限り、夕食後には帰ってしまうのだ。
二階へ続くらせん状の階段を上る間、冷たい大理石の床に靴音がこつこつと響いていた。
主寝室の天井には三台ほどのファンがついており、窓からは屋敷を取り囲む庭を見渡すことができる。ドア一つはさんだ隣室はウォークイン・クローゼットだ。もう一つのドアの向こうにはバスルームがある。五年前この豪邸を買う決め手となったのが、この広々とした間取りだった。
小さな常夜灯が一つついていたので、寝室の様子がぼんやりと窺える。
アマンディーンはベッドの中で身体を丸めて眠っていた。その寝息は深く一定だ。眠っているときの彼女は、あまりに儚(はかな)げで壊れてしまいそうに見える。
ギャビンは妻を起こさぬよう靴を脱いで手にぶら下げ、ハートウッドの床を横切った。ウォークイン・クローゼットの中でネクタイを解いて服を脱ぎ、歯を磨くためにバスルームへ向かう。
鼻につんとくるミントの香りが口いっぱいに広がったとき、電話をかけ直さなかったことをふと思い出した。急ぎの用じゃないなら、なぜ仕事中に連絡してきたのか、それが気になっていたというのに……。
話をするには遅すぎる時間だ。かといって、七時半のアポのことを考えると、朝ゆっくりする暇もないだろう。あのとき、会議を一時中断してでもアマンディーンの用件を確認すべきだった。
ギャビンは後悔すると同時に、漠然とした胸騒ぎを覚えながら口をすすいだ。
そっとベッドに滑り込むと、アマンディーンが無意識のうちに少し身体をずらした。柔らかくリンゴのようにみずみずしい身体を前にして、ギャビンのものが硬くそそり立ってくる。そういえばひと月以上もご無沙汰だ。
くそっ! もっと早く帰れていれば、妻を誘惑することもできたのに。ここまで忙しくなければ、二人で過ごす時間も増えるのに……。
どんなにそうしたくても、今の自分には到底無理だ。不測の事態が起きないよう仕事には常に気を配っておく必要がある。その上、支援しているたくさんの慈善団体や基金のこともあった。ありがたいことにアマンディーンがその多くを引き受けて面倒見てくれているが、それでも目の回りそうな忙しさから解放されるにはほど遠い状態だ。
アマンディーンの左手がギャビンの裸の胸にそっと置かれた。サファイアとダイアモンドの指輪が、ほのかな明かりの中で上品な輝きをたたえている。この指輪は祖母がしていたものだ。心から祖父に愛された祖母。これこそアマンディーンが身につけるにふさわしいものだ。自分にとってどれほど大切な存在か、彼女自身はわかってくれているのだろうか。欲しがるものは何でも与え、思う存分甘やかしたいと望んでいることを。
アマンディーンが眠りながらかすかに眉をひそめた。不快な夢でもみているならそれを取り除いてやりたくて、眉に優しく口づける。彼にとって、妻が幸せでいることが何よりも大事なことだった。しかし、どんなに心を尽くしても、妻が満足していないのではないかと気がかりになるときもある。本人に尋ねてみても、彼女は穏やかな笑みを浮かべて、不満なんか何もないわ、と言うだけだった。言葉とは裏腹に、その眼差しは日増しに遠く閉ざされたものになっていくような気がしてならない。
あと半日仕事を頑張れば結婚記念日を祝える。本来なら平日に休みを取る余裕はないのだが、明日だけは午後も夜も二人で過ごしたいと考えていた。自分が仕事で忙しくすればするほど、妻が少しずつ離れていってしまう、そんなとらえどころのない不安を拭い去ることができないギャビンにとって、明日は大切な日となるだろう。
ちゃんと忘れずに電話をかけ直していれば、がっかりさせずに済んだのに。この埋め合わせに何をしてやればいいだろう。妻の喜びそうなこととは……、
頭の中でカレンダーをめくっていたギャビンは、思わず顔をしかめた。自由になる時間は当分なさそうだ。となると、コンサートやアートギャラリーのオープニングに足を運ぶのは難しい。それならブルックと二人でパリにでも遊びに出かけるよう勧めてみようか。
ブルックはアマンディーンのアシスタントではあるが、彼女の昔からの親友でもある。妻が信頼しているからこそ、アシスタントとして雇い入れることに決めたのだ。
二人のために一週間の豪華な旅をお膳立てしてやれば、今日の償いになるに違いない。女というものは、気の合う友人と好きなだけ買い物して贅沢な時間を過ごすことができれば、多少の失敗は大目に見てくれるものだろ。アマンディーンだって例外じゃないはずだ。特に結婚記念日のプレゼントを見たら、もっと喜んでくれるだろう。
ギャビンは、感激に浸るアマンディーンの顔を思い描きながら眠りについた。