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待ち合わせはヒーローTシャツで

アクセルロッド物語, 第2巻

〈デヴリン〉

大量の酒を飲んで正体を失くし、知らないうちにチャペルで挙式とは、一夜にして事態がメチャクチャになってしまった。

俺は女にモテる。良識ある男なら、自分の妹には絶対に近づけたくないタイプだ。

誓って言うが、ベッカがマックスの妹だというのは知らなかった。バンドの存続を危うくするようなマネ、好き好んでしようとする人間なんかいるもんか。少なくとも俺はそんな奴、見たこともない。

 

互いの素性がわかり、人違いであると判明もしたことだし、この結婚は当然無効になるものと思っていた。だが、ベッカは首を縦に振らない。

いったいどういうつもりなんだ?

 

〈ベッカ〉

生まれ育った家とアトリエを取り戻すには、誰かとの婚姻関係を一年間続けなければならない。でも相手がいない以上、便宜結婚する以外に方法はない。見せかけの夫なら調達できる。その準備を入念に行った結果、思い通りに事が進んだ、と安堵していた。

ところが、間違えて全くの別人と結婚してしまった。かといって計画を練り直す時間もないし、払えるお金ももうない。

都合のいいことに、デヴリンは兄のバンドのメンバーだ。前からの知り合いだとみんなが勝手に解釈するだろうから、誰も私たちの結婚に疑念を抱かないだろう。

一年間ニセの結婚生活を続け、無事に家とアトリエを手に入れたら即離婚。デヴリンさえ協力してくれるなら、そんなに難しいことではないはずだ。

第一章試し読み

目覚めると同時に強い光が目を突き刺してきて、思わず呻き声が漏れる。

「ううっ……、誰だよ、カーテン閉め忘れたのは」

頭もガンガンする。コールが遊びで叩くドラムよりもっと不規則なリズム。つまりはひどい雑音だ。

光に慣らしながら徐々に瞼を開くと、壁一面に赤いハートのシールが見え、天井には「ハッピー・ハネムーン」という文字が……。

ハネムーン? 挙式はおろか、結婚の約束をした相手もいないのに?

そもそもここは俺の部屋じゃない。俺のはスイートで、豪勢なピアノも置いてある。

とするとこの部屋は?

ふと隣を見ると、ストロベリー・ブロンドの女が眠っている。

「アクセルロッド」はワールド・ツアーを、ここベガスで終えたばかりだ。セクシーな女ならどの街にもいて、そのうちの一人ないし二人、あるいはもっと大勢引き連れてホテルにシケ込むのはいつものこと。だからなにも珍しい光景ではない。

珍しいのはむしろ、俺が服を着ている点だ。そういや靴も履いたまま。

バットマンのシャツは胸の辺りまでまくれているが、ズボンのジッパーは少々下りているだけで、全開してはいない。ベルトの剣先を引っ張り出し、バックルを外そうとした形跡はあるから、さては服を脱ぐ途中で酔い潰れて寝落ちしてしまったか。

それとももしや、考えたくはないが、例の〝病気〟のせいでまたしても失敗に終わったのか?

ふうむ、昨夜の俺の行動は……、

バンド仲間たちで楽しく酒を酌み交わしていた。だが途中で賭けに負け、しこたま飲まされて……、罰ゲームの一環としてストリップ劇場へ出かけたとこまでは何となく覚えているが、そのあとは?

記憶が曖昧ではっきりしない。もっと言えば、何一つ思い出せない。

くそっ、良くないぞ。全くよろしくない。数か月前のイカれた女で懲りたはずだろう? セックス・シーンをビデオに撮られ、ネットにアップされて慌てふためいたじゃないか。

あのときは弁護士の素早い対処で、なんとか一時間以内には削除させることができたが、下手したら今回も同じ目に遭っていたかもしれないのだ。酒はほどほどにしようと肝に銘じていたのに、またやってしまったか。

くそっ。

ナイトスタンドの上にボトルがある。ホテルが用意してくれたミネラル・ウォーターだ。俺はそれに手を伸ばし、キャップを捻って一気飲みした。

ふう……。喉の渇きはある程度収まったが、頭も身体もまだ重い。ベッドから起き上がってズボンとジッパーを定位置にまで引っ張り上げ、さらに眠気を覚まそうとバスルームに向かう。まだ完全には明るさに慣れていないため、バスルームの電気はつけないでおいた。

と、何かを踏んだ拍子に足を滑らせ、向こう脛をどこかにしこたま打ちつけてしまった。

「痛ってぇ」

近くにあったスイッチを慌てて押すと、ぼんやりと視界が開けてきた。洗面台の上に鏡があり、その鏡を縁取るように配されたオレンジ色の光が、バスルーム全体を薄暗く照らし出している。

俺の足を滑らせたのは、床に打ち捨ててあるバスローブだった。シャワーブースの棚に、ボディ・ソープやシャンプー、コンディショナーなど使用済みのボトルが無造作に置かれていることから、さっきのブロンドが夜シャワーを浴びたのだろう。

ブービー・トラップよろしく脱ぎっ放しにするんじゃなく、ちゃんとどっかに引っ掛けとけよ。

腹立ち紛れに蹴飛ばすと、バスローブは大きなバスタブの手前にバサッと落ちた。

用を足したあと冷たい水を顔にかけてから、洗面台にあるデンタル・キットで歯を磨く。それでも口の中はまだ気持ち悪く、さらにマウス・ウォッシュでうがいしてみるが、爽快感は今一つだ。

リビングのミニバーで見つけたアスピリンを数粒ほど口に放り込み、水をもう一本飲み干したところで、ようやく少しだけ人間らしさを取り戻せた気がする。

アスピリンの効果が出るのを待つ間、まだ丸くなって眠っているブロンドの女をさり気なく観察。顔は枕に埋もれて見えないが、身体つきには充分そそられる。

あの曲線はいい。彼女が目覚め次第、ヤッちまってもいいな。

そんなことを考えていると、昨夜の飲みすぎとは別の理由で喉が渇いてきた。

わかった。白状するよ。実は六週間ほど前、ニューヨークで超セクシーな女〝ミズ・B〟と極めて刺激的なセックスをして以来、どういうわけか勃たなくなってしまった。まるでストライキを起こしたみたいに、奴め、全く使い物になってくれない。デヴリン・マーシュともあろう者が、なんという体たらくだ。

ただし、その女のことを思い浮かべただけで勃ってしまうため、医者には行けなかった。といっても欲求不満はそれなりに溜まっていて、〝代用品〟がどこかに転がっていないか常に目を光らせてきた。そうしたらどうだ、すぐそこで眠りこけている女のカラダをシーツ越しに見て、久々に硬くなっているじゃないか。

今この状態だということは、もしかして、覚えちゃいないが昨日の夜もヤッたのか? だが、俺の服はそこまで乱れていなかった。靴も履いたままだった。使ったはずのコンドームも見当たらない。

いや、どこかにあるのでは? 靴を脱がずにヤッた可能性はあるし、そのあとでズボンを穿き直したのかもしれない。だが、ベッドの下にも枕の下にも使用済みコンドームはない。

嘘だろ。まさか生でヤッちまったのか?

サーっと血の気が引いていく。

いやいやいや、あり得ない。無防備なセックスだけは、これまでしたことのない俺だ。子作りには興味ないし、責任を背負わされるのも御免被る。だから今回も、どんなに酔っ払っていようが疲れていようが、もし事に及んだなら用心を怠らなかったはずだ。それともあれか。油断して軽率な行動をとりそうだと見て取ったペニスが、わざと力を発揮しなかったとか?

だとしたら相棒、余計なマネをしてくれたぜ。俺にだって理性ぐらいは残ってたっていうのにさ。たぶん。

枕に突っ伏しているせいで息苦しくなったのか、女が喉の奥で小さく唸りながら体勢を変えた。顔を覆っていた髪がはらりと落ち、朝日に照らされて容貌が露わになる。

濃く長い睫毛、陶器のような白い肌、小さくて可愛い鼻、ふっくらとした唇……? まさに、ニューヨークで知り合ったあの女にそっくりだ。

ドッペルゲンガーかと疑った俺は、いったん視線を外し、もう一度改めて見た。すると、確かにまだそこにいる。ということは……、本物だ。ただ、何がどうなってこんなことになっているのか理解が追いつかない。

あの日、一夜を共にした翌朝、彼女は俺が目を覚ます前にいなくなっていた。電話番号の書かれたメモも残されていなかったから、連絡しようにも手段がなかった。

ゆきずりの関係なんか珍しくはなく、最初は気にしないようにしていた。だが時間が経つに連れて執着心らしきものが芽生え、いつの間にか俺の心を大きく占めていた。

もう一度会いたい。でもその方法がない。満たされない思いを抱えたまま、気がつけば勃起不全に陥っていた。もとい、正確には、他の女に対して全く勃たなくなってしまったのだ。

こんなことがあっていいのか、とペニスを呪ってきたが、実際、こいつばかりを責め立てるわけにはいかない。

なにしろ最高のカラダだった。抱き心地が良く、吸い付くような肌をしていた。柔らかくて甘くて、口の中でとろけるほどの絶品。ずっと舐め続けていたいと思える、他の女では味わえない感触であり感覚だった。

そう、これは間違いなく彼女だ。

だが、あまりにも出来すぎている。そもそもなぜ再会できたんだ? ニューヨークにいるはずの女がどうしてベガスに? 俺たち「アクセルロッド」がここでコンサートをすると知って、三つのタイム・ゾーンをまたいで追いかけてきたというのか?

だとしたら、それはもうストーカー行為に匹敵する。本来ならゾッとする場面なのだが、そんな感情とはかけ離れているどころか、ペニスがますます硬くなってきた。

俺はベッドに近づいていき、しゃがみ込むようにして彼女を見下ろした。熟した洋ナシの香りはあの日と同じだ。欲望がジワジワと這い上がってきて、めまいすらしてくる。

ベガスにいる間、ずっと一緒にいてほしいと頼んでみようか。バンドのみんなに紹介してもいいな。上手くいけば、そのあとも関係を続けることができるかもしれない。

アシュリーとの一件以来、こんな気持ちになったのは初めてだ。一人の女にここまで惹かれるのなんか。

目の端にふと何かが光り、そこに意識を向けた俺は凍りついた。

結婚指輪だ。

「なんてこった!」

思わず大声を出したからか、彼女が身体をずらしながらゆっくりと目を開けた。紫色の瞳を見たが最後、絡め取られたかのように視線が外せなくなる。

そうだ、この目。ぼんやりしていて焦点が定まらず、イクときと同じ表情。

やめろ! 結婚指輪に気がついちまったんだぞ? 熱くなってる場合じゃないだろ。

「結婚……してたんだ?」

ニューヨークで会ったときは未婚だった。それははっきりしている。

「あら、気づいた?」

彼女は小さく伸びをした。

「当たり前だろ! どんなにセクシーな女でも、既婚者は相手にしないと決めてる。だからヤル前には必ず、指輪をしてないかどうかチェックするんだ」

「いい心がけね」

彼女がベッドに起き上がると同時に、シーツが滑り落ちた。裸ではなく、何の変哲もない白のナイトシャツに身を包んでいる。

なぜそんなものを着ている? 何が起きている? 二日酔いのせいか頭で処理しきれない。

「俺をわざと酔い潰れさせたのか? だとしたら何に利用しようとしてるんだ?」

そりゃあ、利用価値ならいくらでもあるさ。俺みたいに何もかも揃っている男、そうそういないんだから。

彼女は不思議そうに見返してきた。

どういうつもりか知らないが、この状況は何なんだ? ああ、カフェインが欲しい。

「利用だなんて人聞きの悪い。お支払いならちゃんとしたわ」

〝お支払い〟? 俺に?

「確かにテクニックには長けてるつもりだが、金は取らない主義だ」

彼女は怪訝そうに眉をひそめている。俺とのセックスを経験したにもかかわらず、テクニシャンであると認めていないのだろうか。

まさか、さすがにそれはないよな?

「需要と供給って言葉があるだろ。俺を求めてる女はごまんといる」

俺とヤリたがってる女は。「けどいちいち応じたりはしない。俺にだって選ぶ権利はあるんだから。

セックスって、お互いが楽しむもんだろ。金銭のやり取りなんかあったら興ざめだ。自分を安売りしたくもないしな」

俺、さっきからなに言ってんだ? 脈絡が全くないじゃないか。こりゃ完璧に二日酔いだな。ほんと、コーヒーが欲しいよ。

「だけど、受け取ってくれたわよ? 前金で一万」

「一……万……。ドルで?」

どんだけ正体をなくしてたんだ? 俺。

「もちろんよ。あ、心配しないで、残金も予定通り払うから」

待て待て待て待て、どういうことだ? 前金で一万ドルだと? 俺、何を引き受けさせられたんだ? 聞くのが怖いぞ。

知らず知らず口に手をやると、唇に何か硬いものが当たった。バスルームでは気づかなかったが、それは結婚指輪だった。よく見れば彼女のものとそっくりで、小さなダイヤが三つついている。

なんだ俺? カモにされたのか?

「話を整理させてくれ」

声が裏返ってしまった。「俺たちはその……、あー、何だ。結婚したのか? まさかな。第一、何一つ覚えてない」

「あれだけ酔っ払ってたらそうでしょうね」

「泥酔した男を強引に結婚させたっていうのか。そりゃ違法だろ」

「あら、手続きはきちんと踏んだわよ。だから合法」

「嘘つけ。きみの名前すら知らないってのに」

彼女は拗ねたように俺を見た。

「ベッカよ。もう忘れたなんて信じられない」

「言っただろ。何も覚えてないんだよ。だから即刻、無効にしてもらう」

「それはできない」

ベッカが揺るぎない表情を見せる。「断固拒否させていただくわ」

「は? 何だって?」

「拒否するって言ったの。この結婚は取り消さない」

「なんでだよ? こっちは同意した覚えなんかないぞ」

「だからさっきから言ってるじゃない。あなたはお金を受け取ったって。それってつまり、同意したからでしょう? 今さらなかったことにはできないわよ」

「こっちも言ってるよな、昨日のことは何も覚えてないって」

彼女は大きなため息をついた。

「同情はする」

「なあ、こんなのおかしい。すぐに無効にしてもらおうよ」

俺はニッコリ微笑んだ。こういう場合、低姿勢のほうが上手くいくもんだ。「心配しなくても、手続きにかかる費用は全部こっちで持つからさ」

ところが、彼女は首を横に振った。

「残念ながら、冷静になるには遅すぎたわね。何があろうと撤回できない。そう契約書に書いてあるんだから」

「契約書?」

「そう」

「そんなもん知らないぞ」

「覚えてないだけでしょ。聞いて。私には夫が必要なの。あなたに逃げられると困るから契約書を交わさせてもらうことにした。その時点ではあなたも納得してくれてたのよ?」

開きかけた口を、思い直していったん閉じる。

夫が必要? どういうことだ? 金に困ってるのか? だから誰かに養ってもらわないといけない。そうか、きっとそれだ。

「きみに夫が必要なのはわかった。けど俺には関係ない」

他人を操るビッチだと見抜けなかったとは、六週間前の俺はどうかしていた。そんな自分に腹を立てながら、ホテルの部屋をあとにする。

くそっ、本当に結婚したとして、丸一日と経ってないんだぞ。どうにか取り消す方法があるはずだ。イイ女とセックスすることと、その女と生涯を共にしたいかどうかは、全く別の問題なんだから。

彼女が協力してくれようとくれまいと、早急にこの茶番を終わらせてやる。場合によっては男を誑(たぶら)かした罪で訴えてやる。すぐにでも弁護士に相談しないと。

もしや、ニューヨークで出会ったときから仕組まれていたことではないのか。そんな疑問がふと頭をよぎった。

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