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ロック・スターと大喧嘩

アクセルロッド物語, 第1巻

破綻している両親の結婚生活。自身の惨めな恋愛遍歴。

どうせ真実の愛などこの世に存在しないのよ。ならせめて、物語の中でだけでも理想の恋を成就してやろうじゃないの。

そう心に決め、日々執筆活動に勤しんでいるロマンス小説家、エミリーの隣家に、刺激的なロック・スターが越してきた。

引っ越し早々、タオル一枚腰に巻きつけシャワーを借りに来たかと思えば、別の日にはヘビを撃退してくれたりもして……。

愛を信じられないエミリーの心情は穏やかでいられない。

 

音楽への情熱を失いかけたロック・スターと、キンドル総合ランキング・トップを狙うロマンス小説家が出会ったとき、二人の運命が大きくうねり始める。

第一章試し読み

ワードの空白ページを見つめながら、ため息を一つつく。

もう何年も、この季節になると花粉症に悩まされ、特にここ一週間はくしゃみと鼻づまりが止まらない。それが煩わしくて筆が進まず、ただ時間だけが過ぎていく。

本当のところ、書けないのは花粉症のせいばかりじゃない。

星一つ。こんな駄作を読む人の気が知れません。

星一つ。この本は最悪。読むに堪えない。

星一つ。全然面白くなかった。

前回発表した本に付けられた実際のレビューだ。数えてみたら、否定的なものが全部で五十個近くあった。

——五つ星のレビューが六百以上もあるんだから、そんな少数派のくだらない意見なんて無視したらいいのよ。

母はそう言うけれど、その〝くだらない意見〟で不安になってしまうのだから仕方がない。「アマゾン」にアップして割とすぐにレビューされたものは、お話にならない、と読むのを途中でやめた人たちだろうか、何がいけなかったのだろう、どんな筋書きだと満足してもらえたのだろう、次の作品も低評価が付けられたら? などとクヨクヨ考えてしまう。

二週間以内にあと五万ワードほど書き終えなければならないというプレッシャーも、創作意欲にブレーキをかけている。こんな状態で果たして期限が守れるのだろうかと焦りだけが先行してしまい、全然集中できないのだ。

今は夜の七時。今日もまた一日を無駄に過ごしてしまった。

あーあ。

携帯が鳴った。作家仲間の誰かからのはずはない。みんな私の締め切りが近いことを知り、邪魔してはいけないと心得ている。

画面を見ると、母からだった。私のSNSを管理しているので、母とは最低でも月に一度程度、電話やチャットでやり取りする。投稿の反響はどうか、どんなコメントを返信したかなどについての報告を受け、次の投稿はいつ頃で、内容をどうするかについても細かく打ち合わせる。

もちろん報酬は支払っているし、それとは別に毎月まとまった額も渡しているから、経済的にある程度自立できた、と母も喜んでくれている。いわゆる〝仕切りたがり屋〟な父に対し、これで少しは自己主張できるようになったと。

投稿その他SNSに関しては、ついこの前話し合った。だからその件ではないと思う。新しく買った素敵な服を自慢しようというのでもないだろう。服やバッグを見せびらかしたいときには、いつもメッセージに写真を添えて送ってくるだけだからだ。

たぶん、夫婦間の新たなトラブルが勃発したのだ。できることなら無視したいけど、娘として放っておくわけにもいかない。締め切りを間近に控えた私に電話してくるくらいだから、自分でもどうしたらよいのかわからなくなっているのだろう。

歯がゆさと苛立ちを抑えながら、私は電話に出た。

「もしもし、お母さん?」

『締め切り前で忙しいわよね。ごめんなさい。だけどどうしても伝えないとと思って』

興奮しているのか、息遣いが荒い。といっても、父の浮気が発覚したのではなさそうだ。父は何度も不貞を働いていて、母はそのたびに泣きながら電話してくるのだけど、今回そういう感じは全然ない。

「どうしたの? 何かあった?」

夫の度重なる浮気に耐えかねて、ようやく離婚する決心がついたのだろうか。そうだったらいいのに。

自由の身になってくれさえすれば、出会い系サイトの会員権を購入してプレゼントしてあげられる。母が若いイケメンと付き合って父に堂々とひけらかしたら、どんなにか胸がすくことだろう。

『そうなのよ! 〝星一つ暗殺団〟の黒幕がわかったの!』

もう少しで飛び上がりそうになった。締め切りへの不安は掻き消え、引き換えに全く別の種類の不安が湧き上がる。

「黒幕? そんな奴がいるの?」

〝星一つ暗殺団〟というのは母が考えついた造語で、私の本に一つしか星を付けてくれなかった人たちを指している。「ウォール・ストリート・ジャーナル」のベストセラー・リストに初めて掲載されたときからちらほら見られる現象で、その数は直近の本が圧倒的に多かった。

本を最後まで読むにはある程度時間がかかるはずなのに、出版後早々にレビューを投稿するということは、一、二章しか読んでいないのではないか、よほど面白くなかったのだろうか、などと凹んでいたら、まさか組織ぐるみだったとは! しかも集団を束ねている黒幕がいたとは思いも寄らなかった。

その黒幕のせいで自信喪失し、創作意欲も低下した。どこのどいつか知らないけど、何かしら報復できないものだろうか。

「誰だったの?」

『あなたのお父さん!』

は? ライバルの誰かかと思えばお父さん?

『クレジット・カードの明細を見てたら、オンライン・アシスタントへの支払いがあったわ。ネットで誰かを雇うなんて、あの人らしくないでしょう?』

そう、全く父らしくない。父は実物の若い女が大好きで、あわよくばモノにしようという魂胆から好んで雇う。でも、ネットの向こうにいる女性には流し目も送れないし、面と向かって誘惑もできない。

母は続けた。

『今日たまたまタブレットを忘れていったものだから、また何かやらかしてないか徹底的に調べてやることにしたの。暗証番号を誕生日と同じにしてるのは知ってたから、開くのは楽勝だった。で、メールのやり取りを遡ってみたらなんと、〝偽のレビューをアマゾンに投稿してくれる人間を集めてほしい〟、はっきりそう書いてあったのよ、あなたの出した本に対する悪評を書き込ませろって』

嘘でしょう? 普通、実の親がそこまでする?

メール履歴を削除しなかったのは、絶対にバレないと踏んだから。傲慢で思い込みの強い父の考えそうなことだ。

ショックが怒りに変わった。

 

 

(その他 本文より抜粋)

逸る気持ちを抑えながら売り場の角を曲がると……、あった! まさに私のお気に入りが冷凍庫の中に一つだけ! しかもジャンボサイズだ。

冷凍庫のガラスドアを開け、容器に手を伸ばしたまではよかったのだけど、これがびくともしない。え? いったん手を放し、再度挑戦。今度は両手でっと……、ええっ?

誰かの手が私の「バウンシー・ベア・モンキーズ」を掴んだ。しかもそれを難なく持ち上げて、自分のカートに入れようとしている。

なに? 何が起きてるの?

横を見ると、男が立っていた。耳の下辺りまで伸ばした黒髪、気の強そうな顎、青い瞳と筋の通った鼻。ものすごく整った顔立ちだ。こんな人が小説の表紙を飾ってくれたら、さぞかし映えることだろう、写真に惹かれて女性たちが思わずクリックしてしまうに違いない、などと考えている場合じゃない。今は目の前のことに集中しなければ。

「手を放してよ。これ、私のだから」

私は相手をビビらせるに充分な声音を使った。作家になる前は、この方法でいつも成功していた。けれど、隣に立つ男は全く意に介さない様子。

「きみが放せよ。こういうのって早いもん勝ちだろ」

少しハスキーな低い声が、熟成したウィスキーを思い起こさせる。私の大好きな、後味がスモーキーなウィスキーを。

ふん、顔も声もいいからって、ほだされませんからね。

だいたい、外見のいい男に碌な人間はいない。うちの父がまさにそうだ。中身は腐っているくせに、無駄にイケメンだから女たちが寄ってくる。こいつもどうせ、自分の見た目と声が人よりセクシーなのを自覚していて、それを普段から最大限に活用しているのだろう。

「馬鹿言ってんじゃないわよ。私のほうが早かった」

「あれ?」

彼は白い歯を見せた。「俺が誰だか知らない?」

うん? 知ってなきゃいけない人なわけ?

私は相手の外見をじっくりと観察した。背が高く、肩幅が広く、シャツの上からでもわかるほど身体が引き締まっていて、脚は長い。前腕にはタトゥー、ベルトにはチェーンで繋がれた財布。

視線を顔に戻してみると、男は私が有り難がって足元にひれ伏すのを待っているかのような、余裕たっぷりの目つきになっている。

プハっ。チャンチャラ可笑しい。こいつ、どんだけ自分に酔ってんのよ。けどお生憎様。この私が外見に騙されると思う?

母は父の顔に惹かれて結婚した。結果、浮気を繰り返される羽目になり、だだっ広い家で夫の帰りをひたすら待つだけの生活だ。そんな両親を見て育った私だからこそ、イケメンには強力な免疫ができている。

「残念ながら知らない。あなたは? 私のこと知ってる?」

彼はアイスクリームを掴んだまま少しだけ後ろに下がり、両方の眉を上げた。今度は私が観察される番だ。

なんだか身体中がムズムズしてくる。顔から胸、爪先まで無遠慮にジロジロ見られ、居心地が悪いったらない。

「いや、知らないな」

「だったらお互い様ね」

どさくさに紛れてアイスクリームの容器を引っ張ってみたものの、敵もさる者、簡単に手放してはくれず。

こんなことしてる場合じゃないっての。早く家に帰って四日ぶりにシャワーを浴びて、アイスクリームを食べて少し寝て、それから仕事に戻らないといけないんだから。

どうしたらこいつに手を放させることができるだろう……。

「あっ、ゴキブリ!」

目を伏せた私は咄嗟に叫んでいた。「ほら、あなたの足の上!」

「ゲッ、マジかよ」

下を見ようとする彼の手元が疎かになった隙に、私はさっと容器を引き寄せてカートに入れた。

「おい!」

「なによ。要らないから手を放したんでしょ」

「んなわけあるか。きみがズルしたからだろ」

ズル? 最初に手にしたのは私。早い者勝ちというなら、権利は当然こっちにある。

「どうする? なんならアイスクリームを賭けて決闘でもする?」

「ふん、誰が好き好んでホームレスのアル中なんかと取っ組み合いするかよ」

「何とでも言って。どう呼ばれたって気にならないから」

侮辱して気弱にさせればアイスクリームを譲らせることができる、と踏んでいたのに、私が動揺すらしなかったからだろう、彼は心底驚いたような顔で仰け反った。

この勝負、いただき!

ガッツポーズした私は、意気揚々とレジへ向かった。

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